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日露の国家間の争いで、スパイ活動をした日本民間人「軍事密偵」が、逮捕され、軍人では無いので絞首刑のところ、死を恐れず、軍人と同じ銃殺刑を希望。

 

カミカゼ特攻隊と同じやないか。国家の為に、軍人として命を捧げるのは名誉ある事だと?そうやって国家に都合の良い手駒として使われるんやろが。

そもそも、国家間の争いが無ければスパイする必要も死ぬ必要も無い。

 

死ぬ際の遺書に、日本政府から貰った工作資金約6500万円も、日本の公金だから、子供へは残せないと、ロシアの赤十字社に寄付?

赤十字もこの世界支配層の手先で、そこにやったら全く無駄ガネやろ?🤣

 

国家間の対立を支配層に煽られ、スパイとしてそれに操られ、活動資金は全て回収され、名誉ある銃殺死かよ?死ぬのに名誉もクソも無い(笑)

 

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なぜ?

ロシア軍を感動させた日本人スパイ

 

日本古来の“スパイの掟”が敵国兵士の心を打った

彼らを育てた伝説の師とは

>詳しくはこちら

 

「彼らは自分が銃殺されるときは

嬉しそうだった」

 

処刑された2人の日本人の姿は

ロシア人たちの目に、異様に映っていた…

 

***

 

小さな島国・日本vs.帝国ロシア

 

日露戦争は誰がみても

力が不釣り合いな戦いでした

 

そんな不利を覆すために

日本は大規模なスパイ活動を展開。

 

軍人だけではなく 民間人にも協力を要請し

彼らは「軍事密偵」と呼ばれました。

 

活躍した軍事密偵113人中

生きて帰ってきたのは9人。

生存率はたった7%だったと言われています。

 

ある時ロシア鉄道の爆破工作で

2人の日本人が逮捕されました。

 

横川省三と沖 禎介(ていすけ)

 

食料や弾薬の運搬ルートを塞ぐ

鉄道爆破は重罪で、

すぐに死刑が決まりました。

 

彼らは軍人ではないので、普通は絞首刑

 

…しかし2人は自ら

 

「我々は軍人と同じなので、軍人に対する礼を持って

彼らと同じ刑に処していただきたい」

 

と死を拒むのではなく、

軍人と同じ扱いの銃殺刑を希望しました。

 

捕まった後も礼儀正しく落ち着いており、

処刑が決まってからも泣き叫ぶことなく

潔く堂々と死を待つ姿はロシア軍人の心を打ち、

 

ロシアの軍事裁判所などロシア側自身が

総司令官の将軍に

「なんとか死刑を免れ、減刑にできないか?」

と直談判した記録も残っています。

 

しかし、彼らの訴えもむなしく

死刑判決は揺るがず。

 

ただ、身内からの訴えに動かされ

絞首刑ではなく、銃殺刑になりました。

 

2人は軍人と同じ銃殺刑と聞いた時

非常に嬉しそうな顔を見せ

裁判長と法務官に黙々と一礼をして

去っていったそうです。

 

彼らの顔には「軍人として死ねる。」

その喜びが満ちていました。

 

刑執行の直前、

横川氏は2人の子供に遺書をしたためていました。

 

そこで、彼の頭を悩ませたのは

日本政府から工作資金としてもらった

500両(約6500万円)のお金の行方。

 

当初、娘のために残してやりたいと思ったのですが

 

「よくよく考えれば

この工作資金は日本の公金である

 

つまり日本国民の税金から来たものであるから

それを私物とすることはできない」

 

そう考え直して、遺書からその記述を消したそうです。

 

そして、遺書には

「全額をロシアの赤十字社に寄付します」

と書き残していたのでした。

 

私心を捨て、公に尽くした横川氏の姿は、

さらにロシア人の心を打つことになりました。

 

あなたはこのエピソードをご存知でしたか?

 

スパイというと人を欺いたり

騙したりして情報を盗み取る、

そんなイメージが強いように思いますが

 

日本には立派な志を持って亡くなっていった

名もなき日本人がたくさん居たのです。

 

彼らを育てたのは、天才スパイと呼ばれた明石元二郎

その教えには他国のスパイ教育には無い

日本古来の“スパイの掟”がありました。

 

ロシア軍を感動させた“スパイの掟”とは?

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